目に見えて赤く染まった肌と、動揺に揺れた瞳。口元を覆う長い指の隙間からは声にならない声が漏れている。取り繕う余裕もないのか(そもそもこの人にそんな器用な真似は出来なさそうだけど)そのまま俯いてしまった先輩を優しく見つめながら、分かりやすい人だなぁと、加地は笑った。
「どうしました、火原さん。顔、真っ赤ですよ」
くすりと笑えば、火原は面白いほどに肩を揺らし加地を見返した。ぱくぱくと音の出ない唇は、どうして、なんでと疑問を投げかけていた。
『火原さんは本当に日野さんが好きなんですね』
投げかけたのは、それだけ。
笑って流せるくらいの気軽さで、決して誤魔化せないのを分かった上で。
「ふふ、火原さんって本当に隠し事が出来ない人ですよね」
可愛いなぁとおどけた口調で告げれば、火原は馬鹿にされたと思ったのか少しだけ瞳をキツクして加地を見た。羞恥と困惑に濡れた瞳は迫力というよりは扇情的ですらあって、加地は苦笑する。そんな事を考える自分が可笑しくて仕方なかった。
日野香穂子のバイオリンの音色に魅せられ、転校してきた星奏学園。
多くを望むつもりはなく、ただ彼女の音に触れていられるだけで良かった、幸せだった。
一歩、引いた場所でも十分だったのに。
『 俺は、楽しく演奏できれば最高だよ! 』
才能がないのだと苦笑した加地に少しだけ悲しげに眉を寄せ。けれど、才能ではなく結果でもなく、楽しく、そして周りを楽しく出来ればいいと自論を言って笑った、人。
単純で、だからこそ酷く難しい事を、それでも心からそう思っているのだと強い眼差しは語っていた。
諦めた。諦めたはずだった。けれど、音楽が楽しいと全身で表現する火原の存在は加地を揺さぶった。彼と一緒に演奏してみたいと、思うほどに。
「ねぇ、火原さん。日野さんが好きですか」
確信に触れる問い掛けと共にじっと見つめれば、やがて観念したのか火原は顔を覆っていた手を外し、真っ直ぐに加地を見返した。先程まで揺れていた琥珀は、今はとても澄んで美しい。
「うん…好き、だよ。俺は、日野ちゃんが好きだ」
ほんのりと紅く染まった目元で、日野のことを想っているのだろう。うっとりとした口調で紡がれる想いに、加地は少しだけ肩を竦めた。
「そうですか。うーん、覚悟してたんですが、いざ本人の口から聞かされるとちょっと妬けちゃうなぁ」
「え?まさか…」
あからさまに顔色の変わった火原に、加地は穏やかに笑う。
わざとらしくゆっくりと時間をかけて近寄る。少しだけ雰囲気の違う加地に、火原は不審そうな顔をしながらも逃げることはなかった。
「加地くんも…日野ちゃんが…」
「日野さんの事は可愛い人だなと思ってます」
「…っ」
「でも、」
そっと手を伸ばし、頬に触れる。びくりと肩を跳ね上げさせた火原は目を丸くして固まった。嫌悪や動揺ではなく、単純に意味が分からないと瞳を瞬かせながら。
「恋愛感情ではないんです。ファン心理、とでも言いますか。それに、感謝の気持ちですね」
「…感謝?」
きょとんとした顔で鸚鵡返しに聞く火原は、すでにこの状況への疑問を忘れてしまったようだった。本当に可愛らしい人だと思いながら、その無防備さに少しだけ心配して、けれどそこに漬け込もうとしている自分が思うことじゃないと苦笑した。
「ええ、僕は日野さんのバイオリンの音が忘れられなくて転校してきました。彼女の音の近くに居れたら何て素敵だろうと思って」
笑顔を崩さないままに言葉を紡いでいく加地に、火原は眉を寄せながら頷いた。きつく結ばれた唇に嫉妬を感じとり加地はひっそりと笑う。
「実際、とても充実した日々を過ごせていますよ。日野さんの音は、僕に色々なものを与えてくれた。火原さん、貴方と出逢わせてくれた」
そこまで言って、加地はゆったりと火原の頬を撫でた。
さすがに驚いたのか、火原はびくりと肩を跳ね上げさせ加地を凝視する。
僅かに逃げ腰なのは言葉の違和感に気付いたからだろうか。だからといって、今更逃がす気などありはしないけれど。
「加地、くん?」
「だから、安心してください。僕は日野さんに恋愛感情は持ってませんから」
にこりと微笑めば、火原は戸惑いながらもほっとした顔をした。
警戒心はそれだけでキレイに溶けてしまったらしく、強張っていた肩から力が抜けて行く。その瞬間を、狙われているなんて思いもしないのだろう。呆気なく倒れこんだ身体がその証拠だった。
「僕が好きなのは火原さん、貴方です」
ゆっくりと顔を離しながら、加地はにっこりと微笑んだ。
音楽が好きだと、音楽を愛していると全身で唄う人。
加地自身でも気付かずにいた音楽への未練を呼び起こさせた人。
日野の音に触れられるだけで満足だったのに、それ以上を望んでしまうのは、貴方の所為。
責任は取ってもらわなければ。なんて理不尽極まりないことを平然と思いながら、甘やかで愛しさに溢れた捕食者の笑みを浮かべた。
「だから、覚悟してくださいね、火原さん」
それは、宣戦布告に似た愛の告白。
石化の解けた火原の叫び声が上がるまで、スリーツーワン―――――――――――――――
<08/7/7>